2.8のジャック

おっさんの独り言

年収1000万は一番中途半端…

男なら誰もが年収1000万と言うのが一つの目標だと思います。若い時はお金も無く、上司のバブル時代の話を聞き、自分もそれぐらい派手にお金を使えるようになりたいと思っていました。
若いときに結婚し、子供もでき、20代はお金も無く暮らしていました。でも、今思えば自宅は賃貸でしたがそれなりに外食したり、車も中古でも買い、近場の旅行したり、何より家族と過ごす時間がたくさんありました。

当時はしあわせは感じていましたが、子供や妻に欲しいものは与えてあげたいし、お金に余裕のある暮らしがしたいと思っていました。
30の時に転職し、営業の世界に入り、稼いでいる先輩の話を聞いて、余裕のある暮らしの基準が年収1000万だと一つの目標にしました。

毎日、研修で何度も叱られながら、自分の店も持ち朝から晩までほとんど休日も無く必死で働きました。自分の時間が無くなる一方で、年収は毎年100万ずつ上がり、1000万を超える事になりました。

今まで思い描いた夢の1000万超え。さぞかし楽しいと想像していましたが、全く真逆の生活でした…。。

税金は大学生の初任給並に引かれ、控除は無くなり、家族との時間も減り、後輩からは稼いでいる先輩と言う事で、支払いは自分が払う日々。。

営業なのでドーンと稼いだ月は飲みに行ったり、好きな服を買いに行ったり、家族で旅行したいと思っても、来年の消費税やその他の税金のために貯蓄しようと妻に言われ、働けば働くほど家での居場所が無くなり、なんの為に働いてるのか全くわからなくなりました。
給料明細を見せて、また、税金上がると愚痴られた時は、稼いだらあかんのか!と怒鳴りたくもなりました。。

結局、それで何度も喧嘩し、離婚に至りました。

一体、家族の為に必死に働いて来た自分の時間は何だったのか…。。多分そういう人が日本には沢山いると思います。

日本の平均年収位の時が一番家族との時間もあり、節約しながらでも、旅行や買い物も行けたのかなと思います。

日本に住んでいると、頑張ったら駄目だと言うことが分かりました。
現在コロナウィルスで給料も下がり、家族とも離れ、前年度の税金だけがのしかかり、モチベーションの上げ方が分かりません。。

日本で一番中途半端で、国の為に身を粉にして働いてるのは年収1000万代の人ではないでしょうか。

ごくごく普通の考え方では無いでしょうか?

一般的な4人家族の家庭を想像して下さい。

お父さんは営業マン、子供は二人、奥さんは専業主婦の家庭です。

お父さんは営業と言う事もあり、お給料は多い月もあれば少ない月もあります。それでも、何とか普通の生活を送っています。

ある時お父さんの会社の経営が傾き、お父さんのお給料が下がってしまいました。暫くは、お父さんも一生懸命頑張ってもお給料が上がるのは厳しい状況です。その時家族ならどう考えるでしょう?

奥さんがパートに出て、収入を増やす、お父さんの小遣いを減らす、お父さんの趣味のゴルフを減らす、子供の習い事を減らす、食費を抑える、外食を減らす、車を普通車から軽に変える。。などなど少しでも収入を増やして、支出を減らそうと家族みんなで協力して家庭を守ろうと思いませんか?

その時に、お父さんが、どれだけお給料が減っても、俺は一生懸命働いてるから、家族は協力してても、俺の小遣いと趣味や外食などの支出はそのままで、お前らは我慢しろと言われたら皆さんはどう思いますか?

自分なら腹わたは煮えくり返り、なんて父親だ!こんな家庭に生まれたく無かった!離婚して、お父さんと離れて家族で協力して頑張ろう!

そう思いませんか?

今、コロナの影響で上記の家庭と今の日本が似ていると思いませんか?

国民(家族)には我慢しろ、払うものは払え。でも、国会議員(お父さん)は今までどおり変わらぬ生活。。

こんなお父さんについていこうと思いますか?

もし、お父さんがほんとに家族が大事なら、先ずは自分の支出を減らし、それでも足りない分は、悪いけど家族も協力してくれ。

それなら、僕たちもお父さんに協力するよ!となりませんか?

お父さんは、責任ある仕事をして、いつも頑張っています。感謝しています。お給料が多いときはたくさん遊んで、ストレスを発散して下さい。

でも、会社が傾き、お給料が少ない時は、大黒柱として家族の為に、身を切り、大きな背中を見せて欲しいです。

そんなお父さんにこれからの子供達がなって欲しいです。

それがごくごく普通の考え方だと思いませんか?

都会の怖いお仕事。。

若かりし頃の話ですが、色んな仕事を経験したいと言う事もあり、登録制のバイトをしていました。普通ではなかなか無い色んな仕事を経験できました。例えば、東京都庁で新しく出来る予定の高速道路が通る市や区の代表と国土交通省の話し合いの場で、手をあげた方にマイクを持っていくだけの仕事。選挙が行われるときに、各区等に配る投票箱を作ったり、反社会的勢力の方の夜逃げの手伝いなど、他にも100以上の職場を経験しました。

その中で都会はほんとに怖いなぁと思った仕事があります。

元々は、携帯のCMのエキストラで一般の方が50人位いると言われて参加しました。

当時は19歳でCMにも出れてお金貰えたら最高だなと友達と参加しました。

心斎橋の事務所に集まって、何組かのグループになって、本町と言う所にあるビルに行けと地図をもらい行きました。

エキストラ50人でビル?自分の中では外で撮影あると思っていたので少し疑問に思いましたが、そんなもんかなと気にせず目的地に行きました。
すると、物凄い怖そうな方が10人ほどいて、ビルの地下の会場に案内されました。
自分以外もみんななんかおかしいと思い始めたのか、キョロキョロしたり、硬い表情になり、会話も少しずつ無くなっていきました。

全員が地下の会場に入り、長机と椅子が用意されていて、そこに着席させられました。すると怖い中でも一番偉そうな方が前に出てきて、『今日はテレビのCMではありません。携帯のCMをここでしてもらいます』との事でした。

ん?どういう事とざわざわし始めたら、一斉にアンケートを取りますと一枚の紙が渡されました。

そこには携帯のどこの会社を使っていますかと言う事でした。
当時は携帯会社は4社あり、Aという会社のシェアが一番多く、B、C、Dと言う会社は同じ位で圧倒的A社の市場でした。
結論から言うと、A社の市場を取るためにB、C、Dの会社のCMをしてくれとの事でした。

先ずはアンケートで会社ごとに席替えで座らされ、A社の携帯を使ってる方は後ろに座らされされ、反社会的勢力の方が発言出来ないように取り囲む。

そして、僕らのする事を説明された後に、一般のお客さんが一般入ってこられました。A社のユーザーばかり集められたのだと思います。

全員会場に入ると、施錠され、出口は怖い人達が出れないように固める。そして、一番偉そうな方が前でA社の悪口デメリットを言い続ける。そして僕たちの仕事が…。。

『B社!!』『C社!!』『D社!!』と声を揃えて、大きな声で叫ぶ仕事です。
まるで、昔のナチスか、戦前の日本か、今の北朝鮮か…。。
そこはまるで独立国家のようになっていました。。もちろん後から来た人達も違和感と怖さでビクビクしていましたが、その状況が長く続くと、A社は悪者だと言うイメージになってきているのがわかりました。

そして、一通り儀式が終わった後に、会場から出る事が許されました。。最後に怖かったのが、A社以外の携帯会社の方は、自分も含め帰されましたが、A社の携帯を使っている方だけ、また違う部屋に案内されていました…。。多分A社以外の会社に契約するように勧めてたのだと思います。。あくまで推測ですが。

その後皆さんがどうなったかはわかりませんが、世の中には色んな仕事があって、雑誌の文章だけを鵜呑みにしたら駄目なんだと言う事を学びました。

都会の怖いお仕事。。

若かりし頃の話ですが、色んな仕事を経験したいと言う事もあり、登録制のバイトをしていました。普通ではなかなか無い色んな仕事を経験できました。例えば、東京都庁で新しく出来る予定の高速道路が通る市や区の代表と国土交通省の話し合いの場で、手をあげた方にマイクを持っていくだけの仕事。選挙が行われるときに、各区等に配る投票箱を作ったり、反社会的勢力の方の夜逃げの手伝いなど、他にも100以上の職場を経験しました。

その中で都会はほんとに怖いなぁと思った仕事があります。

元々は、携帯のCMのエキストラで一般の方が50人位いると言われて参加しました。

当時は19歳でCMにも出れてお金貰えたら最高だなと友達と参加しました。

心斎橋の事務所に集まって、何組かのグループになって、本町と言う所にあるビルに行けと地図をもらい行きました。

エキストラ50人でビル?自分の中では外で撮影あると思っていたので少し疑問に思いましたが、そんなもんかなと気にせず目的地に行きました。
すると、物凄い怖そうな方が10人ほどいて、ビルの地下の会場に案内されました。
自分以外もみんななんかおかしいと思い始めたのか、キョロキョロしたり、硬い表情になり、会話も少しずつ無くなっていきました。

全員が地下の会場に入り、長机と椅子が用意されていて、そこに着席させられました。すると怖い中でも一番偉そうな方が前に出てきて、『今日はテレビのCMではありません。携帯のCMをここでしてもらいます』との事でした。

ん?どういう事とざわざわし始めたら、一斉にアンケートを取りますと一枚の紙が渡されました。

そこには携帯のどこの会社を使っていますかと言う事でした。
当時は携帯会社は4社あり、Aという会社のシェアが一番多く、B、C、Dと言う会社は同じ位で圧倒的A社の市場でした。
結論から言うと、A社の市場を取るためにB、C、Dの会社のCMをしてくれとの事でした。

先ずはアンケートで会社ごとに席替えで座らされ、A社の携帯を使ってる方は

せめてアルファベット!!

今や海外は小学生から行く時代になり、英語も物心つく頃から習う時代になりました。

自分の世代でも、英語は全く駄目でも単語だけで会話したり、身振り手振りで海外旅行に行ってもギリギリなんとかなりますが、会社の先輩に絶対に英語の単語1つも話さない強者がいます。会社では営業成績トップで人間性も素晴らしく尊敬出来る先輩ですが、絶対営業成績日本一になると平のときから意気込んでたときの如く、海外では英語は絶対に使わないと言うスタンスなんてす。。

ある日、会社の研修でフランスに行った時の話です。

シャンゼリゼ通りのルイヴィトン本店に行きました。もちろんフランス語でしか向こうは話ししませんが、英語で話せば少しぐらいは伝わるんですが、先輩はそれもしないので、大阪弁でフランス人に、黒の小銭入れ探してるねんけどとバリバリの日本語で話していました。

あまりにも伝わらないのと、英語を少しも使う気もなく、身振りもないので、埒が明かないと黒人に店から追い出されていました。

一番驚いたのは、次の日の朝に、レストランて朝食を一緒に取って、部屋に帰るときに、先輩が「あっ!鍵忘れた!」と、オートロックのカードキーを部屋に置いたまま出てきてしまい、部屋に戻れなくなりました。

じゃあ、どうするか?…。。もちろんフロントに行きます。

この状況を先輩は日本語で乗り切れるのか気になり横で見ていました。

一通り日本語で説明していましたが、全く話が進まないので、単語だけですが状況を説明してあげました。
すると、部屋番号と名前を紙に書いてくれとの事で先輩に書いて貰えるように頼みました。

紙を見て、五つ星のホテルのフロントがお客さんを鼻で笑うのを初めて見ました。。

その紙を見ると、部屋番号と、フルネームをキレイに漢字で書いていました。

それが読めたら最初から日本語で話すやろ!!と思わずツッコんでいました。。

そこはせめてカタカタやろ。。

毎年、先輩とは旅行に行くので今度はどの国で珍道中を起こすのか楽しみにしてます。

晴れ男と雨女

今週のお題「ホワイトデー

晴れ男と雨女の法則に気づいたのは少し昔の話になります。

それは数年前のホワイトデーでした。

自分はホワイトデーや誕生日、付き合った日等は全く気にしない人間でした。彼女は反対に記念日を大切にする方でした。よくある男性と女性の関係だとは思います。

その日は一日中デートをしていました。午前中は晴れていましたが、昼過ぎからは曇りだし、夕方には大雨になりました。夜景を見ながらディナーをする約束でしたので、彼女が残念そうに言いました。

「あ〜ぁ、せっかくの夜景が台無し。。ほんと私雨女やわ〜」と。。

なんでそう思うのと聞くと、今までの記念日のほとんどが雨だったそうです。それは、僕との記念日だけでなく大事な日や晴れてほしい日によく雨が降るとの事でした。

僕は自分は晴れ男だと思っていたので、「え?今日午前中晴れてたやん」と言いました。

事実午前中からドライブしたり買い物したり、昼食をしている時は雨は降っていませんでした。

割合で言うとデートの時間の3分の2は雨は降っていませんでした。

でも、彼女は雨女だというので、過去の記念日の天気や過去の雨が降った出来事や逆に晴れていた記念日の話をしたり、晴れて実行出来た出来事の話をすると、晴れている割合の方が多い事がわかりました。

自分の場合も過去の天気を考えて見ると、仕事で晴れて欲しいときに雨が降ったこともあれぱ、雨で大事なイベントが中止した事もありました。
自分も学生時代は宿泊学習や卒業旅行、遠足なども雨が多く昔は雨男だと思っていました。

でも、割合を考えると晴れてる日の方が多い。正確に言うと曇りも含めると雨が降っていない日の方が明らかに多いのです。

実際、ホワイトデー当日も割合では雨が降っていない時間の方が多い。何故、彼女は雨女と思うのか…。。

それは考え方だけの問題だとわかりました。

ポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかの違いでした。

僕はディナー中に雨は降っていましたが、一日中デート出来たし、夜景はキレイに見えなくても、ちょうど雨が降る前にレストランにも入れて濡れることなく、やっぱり晴れ男だなと思いました。

彼女は逆に楽しみにしていた夜景がキレイに見えないからやっぱり雨女だと思っていました。

全く同じ事実を共有しているのに、捉え方が全く違う。心の持ち方、その時の精神面で違うのではと思いました。

実際、自分も昔はネガティブで大人しい性格を昔はしていました。その時はよく雨男だと思っていましたし、周りにもそう言ってもいました。

今は仕事もプライベートも充実しており、その頃から友達も増え、明るくなり、晴れ男だと思っています。

これは僕が雨男から、晴れ男になったんではなく、曇りも雨が降っていない→だから晴れと言う思考になっただけだと分かりました。考え方がポジティブになっただけだなと思います。

現在の仕事もうまく行かない時は、また雨かとか気になりますし、調子のいい時は雨が降る前に仕事が終わった。家に着いた。小雨で済んだ。などプラスに捉えていました。

全く同じ事実でも、人によって全く違う捉え方になるのだなと気付かされたホワイトデーの出来事です。

因みに今は雨が降ったことを気にし出したら、ネガティブになってきているので息抜きをしたり、色んな前向きになるような本を読んだり、セミナーに参加しています。

自分の心の指針の1つが晴れ男と雨女の考え方だなと心に命じて仕事をしています。

因みに、彼女は今は晴れ女だと思っています。

僕と別れてから何年か後に会った時に言っていました。

彼女を雨女だと思わせてたのは僕が彼女をネガティブにさせていたのかも知れません。。

晴れ女にさせた今の彼氏と上手く行くことを心から願う今年のホワイトデーでした。。

因みに昨日は曇りでした。。

みなさんならどう捉えますか?

ガッツ石松童顔説

短い話です。

自分も中年になり、自分の子供や友達の子供、甥っ子や姪っ子など、生まれたばかりの赤ちゃんを見ることが増えましたが、男女関係なく、生まれたての赤ちゃんはもれなくガッツ石松そっくりだなと思いました。

その時に気づいたんですが、赤ちゃんはみんなガッツ石松と言うことは、ガッツ石松は生まれてからずっと同じ顔で生きてるって事?てことは、世の中で一番童顔な人間はガッツ石松!?